2021-05-27 第204回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号
現在、昭和基地では第六十二次の越冬隊が活動を実施中であり、文部科学省としましても、今回の実績や経験を踏まえ、本年秋に出発する第六十三次隊の計画の検討などにより、引き続き、関係省庁が連携し、期待される成果が得られるよう、南極地域観測の継続的な実施に努めてまいる所存でございます。
現在、昭和基地では第六十二次の越冬隊が活動を実施中であり、文部科学省としましても、今回の実績や経験を踏まえ、本年秋に出発する第六十三次隊の計画の検討などにより、引き続き、関係省庁が連携し、期待される成果が得られるよう、南極地域観測の継続的な実施に努めてまいる所存でございます。
白瀬という名前で、今、昭和基地に近い、南極で最大級の流速のある白瀬氷河、そして、一九八〇年代の南極観測船が初代「しらせ」なんですが、これで四代目に今なっています、二〇〇九年から就航しているんですが。この船名の由来になっている。
南極には昭和基地という日本の基地がありますけれども、北極は全て陸上はどこかの国の領土なので、そこの国との国際協力という場の実現として、こういった基地での日本人の活動というものがつくられています。
で、現地で見ている情報と実際のその予報情報、日本から提供している情報の比較をしていただいて、より精度を、問題点を指摘してもらう、で、精度を上げていくというプロセスが結構進んできていまして、例えば南極に向かう「しらせ」の航行ルートの選択、効果的な昭和基地への接近というところもそれでうまくいっています。
この南極観測における地球温暖化の気候変動の解明に向けた研究というのは、私はこれは、非常に貴重な場所を確保しているとさっき大臣がおっしゃられたこの昭和基地における大きなテーマの一つではないかと思いますんですが、この辺の温暖化に関する南極観測研究に関しては、大臣はどのように今後推し進めていかれる御予定でしょうか。
また、これに加えて、昭和基地と国内の学校をつないで実施される南極授業の活動により、将来を担う若者の科学への興味、関心の向上に貢献しているというふうに認識をしております。
○国務大臣(柴山昌彦君) まず、立地の面で、昭和基地は観測拠点が少ない東南極に位置しておりまして、その地理的優位性とともに、我が国の精度の高い観測技術により、多くの成果を上げているところであります。
本年一月の二十九日、日本が南極に昭和基地を開設してから六十周年、これまで継続して有人観測を行ってこられました。幾多の課題を乗り越えながらの観測に、関係者の御努力と御尽力に敬意を表したいと思います。南極観測には、新聞社や多数の企業も参画をして、技術を磨き、研究が進展してきたと言えます。 ここで改めて、これまで得られた成果、知見について伺うとともに、大臣から御感想を伺いたいと思います。
○国務大臣(松野博一君) 南極地域観測は、我が国の戦後復興のさなか、国民の期待を受けて開始をされ、昭和三十二年一月の昭和基地開設以来、六十年間に延べ三千三百人を超える観測隊員等により観測が続けられております。
観測、昭和基地の運営などは、文部科学省、気象庁、海上保安庁との連携により、また、昭和基地への物資輸送は、防衛省の協力のもと、南極観測船「しらせ」によって実施しておりまして、平成二十八年度政府予算案には約七十七億円を計上しております。
南極大陸、日本は昭和基地というのを保有しているんですけれども、なぜあの場所に所在しているのか。本来であれば、パーマー半島に所在させるべきではないかということを常に考えていますので、今前段に申し上げた質問に短く答弁いただいて、南極大陸の質問に移りたいと思いますので、ひとつ御協力をお願いします。
ところが、日本は、次のページを見てください、これは南極大陸を真南から写していますけれども、白い矢印、この場所が昭和基地なんです。この場所は、大体、南アフリカからずっと南に行ったところが昭和基地の場所に当たるわけですけれども、パーマー半島は全然場所が違うんですね。
昭和基地、この地図によると、もうほとんど南アフリカのケープタウンに近接しているような感じに見えますけれども、ある。 私は、本当に国防とかを考えてやっていくならば、この南極対策というものも含めて、もうちょっと軍事を意識した政治というものを政策に反映させるべきじゃないか。
もう一つは、今、省エネということが言われていますが、南極の昭和基地、あれは二階部分、三階部分は木造なんですよ。断熱効果が非常に高いということで、暖かい空気が外へ出ない、冷たい空気が中に入らない。
そして、省エネだと言われるが、南極の昭和基地というのは、二階と三階は木造なんですね。一番断熱効果が高いということなのです。省エネであり、そして長い間もつ住宅である。
これらの者は隊員ではございませんけれども、その活動計画を隊に提出し、南極地域においては隊長の指示に従い、昭和基地等において隊員と起居をともにするなど隊員とほぼ同様の扱いを受けている者であるということから今回の対象に含めたわけでございます。 もう一つの問題でございます、南極観測船の乗組員の従前の取り扱いはどうであったのか。
昭和基地ができたとか、タロ、ジロの話とかいうことを私が書いた原稿で実は皆さんに知っていただいたのでありますが、そんな中で、五十人の隊員のうちの約半数が地球物理学者であります。若い人たちで、それぞれ地震とか地質とかオーロラとかいう専門家たちでありますが、この人たちの間では既に地球温暖化ということが予知されていた。
一九五六年十一月、日本は第一次南極観測隊を観測船「宗谷」で送り出し、昭和基地を開設いたしました。そして、六二年の第六次まで「宗谷」によってこの研究は続きました。しかし、以後、一九六二年二月より一九六六年の間、南極観測は中止されました。砕氷船「宗谷」は海上保安庁に属しておりましたので、「宗谷」を用いることは研究者の反対はありませんでした。
翌年二月には第七次越冬隊が成立し、昭和基地及び我が国の南極地域観測が再開されました。その後現在まで、毎年観測隊を派遣しているところでございます。
今南極大陸の中にある基地を持っているのは日本を含めて三カ国、この日本の昭和基地が世界で初めてオゾンホールを見つけて、世界をあっと言わせたというような実績もありまして、このような科学者コミュニティーから、独立した、国際的な枠組みからのいろいろな提言を出しているというところに非常に大事な機能があるということだろうと認識しております。
それから、会長御自身先ほど述べていらっしゃいましたとおり、学術会議の提言が南極地域観測への国際参加となって、昭和基地によるオゾンホールの発見という国際貢献に寄与した。行政に対するチェックといいますか、行政が抜け落ちている視点というものを独自に提言を行っていく、このような機能を持っているからこそ、学者の国会、そのように呼ばれていたのではないか、私はそのように理解をいたしております。
南極探検は、先ほど言いましたように、昭和三十年から始まって、世界でオゾンホールを見つけたのが昭和基地だということは大変よく知られておるわけでありますけれども、例えば南極の観測は続けようという提言を出しております。
その一つは、今年の十一月から二年後の二〇〇四年の三月まで、第四十四次の南極越冬隊が行きますので、私どもそれに同行して、昭和基地にNHKのハイビジョンの仮設の放送所を作って、そこから適宜世界に向けて放送してみようと、そういう今構想を練っているところであります。
例えば、今環境で世界的に大問題になっているオゾンホール、これは日本の気象研究所が南極の昭和基地上空で観測したと言われております。発見まで約三十年かかったと言われております。今テレビでも盛んにやっております、海水からリチウムを採取する、リチウム電池なんかのリチウムを採取するという画期的な研究も、これは二十年を要して日本の研究所が発見したものであります。
また、南極でございますけれども、これは日本の基地がございます昭和基地周辺等は、地球儀でごらんいただきますと、アフリカの喜望峰をずっと延ばした先の方にあるのでございますが、その昭和基地周辺については、特に私ども一九八五年以降、航空機による定期的な観測を行っているのでございますが、大きな変化は認められていないのでございます。
気象庁も、先ほど先生の御指摘がございましたように、日本の北は札幌から那覇、また南極の昭和基地におきましてもオゾン観測は続けておりまして、現時点で見ますと、まだ長期的に破壊が進んでいるということを観測しております。 今後とも引き続き、オゾン層の状況については注意深く観測を続けていくつもりでおります。
一方一昭和三十六年ですけれども、南極の昭和基地におきましても定常的なオゾンの観測というふうなことを開始しておりまして、かれこれもう三十数年たつわけですけれども、この中で、昭和五十七年ですけれども、先生今おっしゃったように、当時越冬隊に参加しておりました私どもの隊員が南極上空のオゾンが異常に少ないというふうなことを観測し、それが、その後オゾンホールとして世界的に注目されるきっかけをつくった、そういう状況
まず、可燃物でございますけれども、平成五年度に昭和基地に整備いたしました焼却炉で焼却処分いたしました。また、不燃物は、分別集積いたしまして、観測船「しらせ」で日本に持ち帰っております。し尿、汚水につきましては、現在希釈いたしまして海洋に排出しておるわけでございます。現在、汚水処理施設を建設しておりまして、これが平成十年度に稼働予定でございます。
昭和三十二年に西堀隊長の第一次隊で始まりましたが、この昭和基地、ちょうど四十年。この間の成果、また負の成果も含めてお知らせをいただきたい。そしてまた、日本の南極観測の今後の課題、これは何でしょうか。これは文部省さんですか。 〔委員長退席、小林(守)委員長代理着席〕
私どもの方の南極昭和基地でございますが、これは南半球の夏に当たります十二月末から翌年の二月中旬まで約八十人、それから南半球の冬に当たります冬季に越冬隊員三十一名が滞在しているわけでございます。こういった人々が滞在している中で、昭和基地で一年間に出る廃棄物は、可燃物が約八・四トン、不燃物が約十九トン、し尿、汚水が約千四十三トンでございます。
時間もありませんのでちょっと質問が飛びますが、先ほども南極観測に関しまして文部省にお伺いいたしましたけれども、昭和基地周辺の廃棄物の管理につきまして、その実態そして環境庁に対する報告、これはどういう体制となっておりますか。これが第一点目の質問。
○説明員(岩本渉君) 日本の南極地域観測隊におきましても、昭和基地におきまして地球の温暖化に関しまして定常観測ということで毎年実施しているわけでございます。それによりますと、昭和基地の周辺においては顕著な温暖化傾向は見られていないという報告を受けております。
○山下栄一君 昭和基地に限りますけれども、昭和基地に限って全物資の半分は燃料であると。重油が何百トンかわかりませんけれども、重油でやることについての見直しはどうなんですか。
○高野博師君 例えばグリーンピースが、日本は昭和基地での観測等については優等生だ、しかしその日本がなぜこの批准におくれているんだというような話をしておりますが、私は六年間もかかるというのはどうかなと。
最近のマスコミでは昭和基地の廃棄物が報道されておりました。四十年間に及ぶ観測活動のもう一つの側面であります廃棄物処理について、その実態はどのようになっているのか、また管理はどうしているのか、さらに処分について今後どのように考えておられるのか、処分の計画などありましたらお伺いしたいと存じます。
南極基地におきます廃棄物の処理の問題でございますけれども、現在南極の昭和基地では、夏季、十二月末から翌年の二月中旬に約八十名、それから冬季に越冬隊員三十一名が滞在いたしまして、年間を通じて研究、観測を実施しているわけでございます。 いろんな廃棄物が出るわけでございますけれども、そのうち可燃物、燃えるものにつきましては焼却炉で焼却処分いたします。